あなたもわたしも植物も、菌と一緒に生きている

2016年2月23日ワークショップ周知用チラシ最終版
エンドファイトについては北海道農業研究センターの池田成志さんの講演で
いろいろお聞きして興味津々。そのほかにも夕日の当たる圃場で
トマト栽培をしたらトマトの食味が良くなるとかの「光」の研究も
されているそうで、今度北海道でワークショップがあるようです。


ヒトの皮膚には数えきれないほどの微生物がとりついている。
というのはわりあいと最近(ここ十数年)わかったことである。

皮膚表面に住んでいる菌はそれぞれの体質によって違うが、
表皮常在菌によってヒトの体臭が決まる。と言われている。
ヒトのメスはこれを元にして繁殖相手を決めているのではないか
という仮説が5年ほど前ディスカバリーチャンネルで紹介されていた。

個人の免疫によって皮膚に住まわせる菌が決まるから
女は自分が持っている免疫と組み合わせ、最高のそれが獲得できる相手を
体臭を元に決めるというのだ。非常に興味深い話じゃありませんか?

人を好きになるのは顔とか性格ではなくニオイというのはあり得る話だ。
視覚などと違い嗅覚は主に大脳辺縁系という原始的な脳で処理されるからだ。

オスにとってちょっと悲しいのはこれを判断するのはメスであり、
しかも最終判断はキスのあとらしいってのがさらに悲しい。
キスする=鼻がより近づく=ニオイがよくわかる=あ、思ってたのと違った
なんて感じだ。繁殖に適さないと判断が下されればそれ以上には進まない。

なぜキス以上に進まなかったのかなーと熟考しても理由はわからなくて、
「なんとなく合わなかったんだろうね」なんて女は思っているが、
この相手では最強の免疫は得られないとメスとして判断している。って話。

この説はこれっきりでその後見かけないので実証されなかったのかもしれない。
おもしろいのになー。どっかに紹介されてないかなー。

さて、皮膚だけではなくわたくしたちは腸にも大量の微生物を住まわせており、
消化・吸収といった作業の補助をしてもらっている。この微生物のバランスや
内容によって、体質(太りやすいとか太らないとか)も決まってしまう
なんてことも最近わかってきた事実で、興味深い本がたくさん出ている。

ことほどさようにわたくしたちは菌にまみれて生きているのだった。
昨今の言葉ではこれを「共生」と言う。

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ワインの「テロワール」も土質ではなく土壌微生物によるもので
人為的にその組成を作り出せれば高品質なワインを作ることが
できるんじゃないか的な研究が進んでるってことでした。おもしろいなー。



人体だけでなく、微生物との共生は農業の世界でも非常に注目されており
さまざまな研究がされている。ということをわたくしは最近知った。

植物の場合、よく知られているのはダイズにつく根粒菌である。
根圏微生物と言われるが根っこの周りに取りつく微生物が
植物と共生し有用な物質を与えていることは昔から知られていた。

最近の研究では、植物内部にも共生微生物がいることがわかっている。

野菜が病気になるのは野菜のなかに病原菌が入って繁殖するからだが、
病原菌だけでなく、根圏微生物のように有用な物質を作ったり
野菜の抵抗力を高めたりする微生物がいる。らしい。

この微生物のことをエンドファイトと呼ぶ。
(ちなみに外にくっついてるのはエピファイト)

ネットを検索すると牧草とエンドファイトというのがやたらと出てくるが
エンドファイトが最初に見つかったのが牧草だからってことらしい。
牧草で見つかったエンドファイトは害虫抵抗性を持っていたが、
食べた牛に中毒を引き起こすということで問題になった。

現在では、中毒を起こさないエンドファイトの研究がされており、
すでにゴルフ場の芝草などでは実用化もされているようだ。

さまざまな有用性が注目されているが、有機農業的に「おっ!」と思うのは
除草剤・農薬・チッソ過多によりエンドファイトが減少し、
いわゆる悪玉菌(人体に影響する菌含めて)が増加することである。

微生物と各野菜との親和性なども研究されていて
レタスと大腸菌に親和性があることがわかったりもしていて
なんかレタス生で食べるしちょっとヤダとか思ったりしちゃうよね。

エンドファイトは植物ホルモンの生成や病害虫の抑制、
さらには植物の老廃物を分解したりもしている。
植物は微生物とさまざまの物質のやり取りを通じて自らを健全に保ち、
さらに食味の向上にも一役買っていると考えられている。

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いちごの芳香化学成分をメチロバクテリウムが代謝し、それをいちごが
さらに代謝して良い香りになる。という研究もあり、農産物の
風味・品質に対して、共生微生物相が重要な働きを担っている
なんてことが科学的に解明されてきているらしい。いちご農家が
経験として知っていることの科学的な裏付けができたということかな。



さらに有機農業的に「おおおおおっ!」と思うのは、
エンドファイトが有効に機能するのに必要な条件はどうも
「土づくり」にありそうだってことである。

微生物は農薬で死んでしまうから散布量は多いより少ないほうがいい。
また、土中の微生物を絶滅させる土壌消毒剤は絶対的に良くない。
そして土中に炭素分(有機物)がなければ微生物は繁殖できない。

これはまさに我が師匠・西出隆一さんが言っていることと同じでは?

農業において必要なのは土づくりで一番大切なのは生物性だと師匠は言う。
植物と共生する微生物を利用して、さらに高品質な野菜を栽培するのが
『儲かる!「西出式」農法』なのである。なんちて本の宣伝しちゃいました。えへへ。

エンドファイトは現在進行形の新しい技術のため
農作物・農業への応用については今後のさらなる研究が待たれるが、
現時点ですでに農薬・チッソ過多・化学肥料はいい影響を与えない
という結果が出ている。

うーん、すげーおもしろい。
今後も微生物から目が離せないぞ。
ますます勉強しなくては!!
(もうちょっと勉強してまたちゃんと書きます)


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ヒトには3つの性がある。男と女、そしておばさん

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女性ホルモンの色「紫色」は高貴な色とも言われておりますが、
それは紫色の染料が非常に希少なものだったからであります。
古代紫=貝紫ってヤツですね。貝紫の着物とか欲しいなー。



タイトルの言葉はわたくしの友人が先日言い放ったものである。
新明解国語辞典で明快に「おばさん」年齢に達しているわたくしだが、
非常に言い得て妙だなと感心した。

おばさん=第三の性 すばらしいんじゃありませんか?

なにしろ、女という性に生まれると、思春期に入ると同時に月に一度
「繁殖しろ!」という母なる自然からのプレッシャーを受けるようになる。
このプレッシャーは40年ほども延々と続く。

ようやく開放されたと思ったら、今度は女性ホルモンという
女を女たらしめていた、というか保護してくれていた物質の分泌が減り、
数ヶ月から数年間、精神的にも肉体的にも不安定になるという
さらなる苦行が待ち受けている。

ああ! 女ってなんてめんどくさいんだ!!!
 
しかし。ここからがすんばらしいのです。わたくしたち女は、
ある日さなぎが蝶になるように「おばさん」に変態するからだ。

寒い日に気合で薄手のセーターを着ていたその気合がバカらしくなったり
ヒールよりペタンコのくつが楽でいいやとか思ったり、
近隣に出かける際にどうせ誰も見てないからノーメイクで出かけたり
てなことがごくフツーに起き始める。

当人にはおばさんになったな、なんて実感はとくにないが、
ある日ふと「あれ? 以前の自分とちょっと変わったな」と気がつく。
この変態の速度はおおむね老眼の進む速度と同じくらいである。

これは「細かいものが見えなくなる」からではないかとわたくしは考える。

こまかーくいろんなものが見えている間はそれが気になるでしょう。
でも見えなくなると気にならなくなるのよね。
ヒトにとっておそらく、見えないものは無いものなのだ。

ばあちゃんの家がなんとなくホコリっぽいのは不潔なわけではなく
ホコリが見えなくなっている=ホコリはない のだ。

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最近ほんたべ農園で収穫する野菜についてる虫がめっきり見えなくなっており、
見えなくなると同時にあまり気にならなくなってきて、以前のように
台所を歩いてるイモムシ見ても「ぎょえー!!」とか思わずに
淡々と取り除けるようになりましたよ。不思議だね。


さらに、老眼が始まると同時に脳の萎縮も始まるから、
細部の記憶が失われることが増えてくる。
小さなこと、些細なことを忘れるようになってしまう。

若いころは全てのことをこまごまと分類して脳にしまい込めるが、
その機能が低下すると、ヒトは情報の取捨選択を行うようになる。
これは、優先順位を瞬間的につけられるようになるとも言える。

細かいことが気にならなくなりつまらないことを忘れるとヒトはどうなるか。
ものすごーく生きやすくなるのですよ! みなさん!

生きやすい=楽しい=元気になる わけだから
おばさんがすげー元気なのはあたりまえのことなのだ。

さてしかし。
女からおばさんに変態した後、実はさらなる変態が待っているのだ。

「おばさん→オバサン」になるグループと「おばさん→おばさま」になるグループ。
どちらになるかは無意識の個々人の選択によるものだろうと思う。

オバサンになった女たちのふるまいはどこか女子高生に似ている。

歩道いっぱいに広がって連れ立って歩きなぜか急に立ち止まっても平気だ。
自転車の運転が下手くそで、もちろん運転中は周りも後も見ない。
ところかまわず大声で笑う。女子高生ならば「鈴の音のよう」な笑い声だが
オバサンの場合はどちらかというとカラスの鳴き声に似ている。
道端で群れて世界一どうでもいい会話を延々とかわし続ける、など。

ね、女子高生とか中学生に似てるでしょう。
先祖返りと言ってもいいかもしれない。

おばさまはこのようにふるまわない。

おばさまはあまり群れないし、道いっぱいに広がって歩いたりもしない。
自転車というより車に乗る。身だしなみもきちんとしており、
もしかしたら家でもジャージは着ていないし口紅なんか塗ってるかもしれない。
健康管理をきちんと行っているからおおむね太ってもいない。

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「最近自然の美しさが身にしみるようになったけどどういうわけだろう。
死期が近いのかも」とか母が昔言ってたが、娘の頃は全く気にしなかった
自然の移り変わりを愛でられるようになるのとかすごくいいよね。
年をとる=若いころとは感受性も変わる ってことがおもしろい。



彼女たちはオンとオフのスイッチを明確に分けており、
大人の女を自分できちんと演出することができる。

どちらもおばさんの基本的特徴は持っているが見た目が明確に違う。
生きていきやすさは同じだと思うが、どっちがいいかな?

このさらなる変態の岐路は50代前半にやってくるようだ。
50代後半には必ずどちらかに変化し、変化後はそのまま年を取っていく。
どちらになるかは少し考えたほうが良さそうである。

ちなみにわたくしが以前住んでいた最寄りの駅前商店街には
ジャージのオバサンがたくさんいて大きな声で楽しげにしゃべっていた。
今住んでいる世田谷の最寄り駅の前にはジャージのオバサンは一人もいない。
楽しげに話しているおばさまはいるが、皆小声で非常に上品に笑っている。

この緊張感のある地域でオバサンになるのはかなり難しく、
わたくしはおばさまにならなくてはならない。

どちらになろうがもう侮蔑的表現の「おばさん」と呼ばれることはない。
50過ぎたら正真正銘のおばさんなのだから全く気にすることはないのだ。
でもオバサンよりも「おばさま」の方がいいなと現在のわたくしは思う。

60になったら白髪を染めるのをやめ、まっしろなショートヘアの
こぎれいなおばさまになるのが今のわたくしの夢であります。


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「おばさん」という呪いの言葉について考えてみた

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白いバラの花言葉って「純潔」なんだって。
資料写真が難しかったので今回バラ&花言葉でいきます。
ちなみに『ベルサイユのばら』は最初のタイトルが『ベルサイユのばらたち』で、
白バラはオスカルさまのことでした。



おばさん
親族関係にない中年(以上)の女性に呼びかける(を指して言う)語。
[より丁寧な形は「おばさま」、口頭語形は「おばちゃん」。
軽い侮蔑(ブベツ)の気持を込めて「おばん」とも↔おじさん

運用
もう若くはないという相手に対する皮肉や自重(ジチョウ)を込めて用いることもある。
例、「二十(ハタチ)過ぎるともうおばさんよ/おばさん趣味の洋服
『新明解国語辞典 第三版』より

↑「おばん」は昨今死語なのではないかと思うがまだ言ってる人いるのかな。

さて新明解国語辞典に明快に記述されているように
おばさんという呼称には「もう若くない」とか「軽い侮蔑」の気持ちが
込められている場合が多い。

とりあえず、おばさんと呼ばれて喜ぶ若い女はいない。

なんとなく劣化した感がして素直になれない女が世の中に多いからこそ
何歳になっても「女子」を使いたがるのは、ジェーン・スー氏の
『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』(幻冬舎刊)に書いてある通りだ。

ではここでおばさんの定義「中年以上の女」の「中年」とは
何歳以降のことを指すか考えてみる。新明解国語辞典を調べてみたら、
中年とは50代の半ばから60代の前期にかけての年代であるらしい。

あれれ? 昔はそんな年じゃなかったよね?
わたくしが幼いころは30代後半には「中年」と呼ばれていたはずである。

しかし現在では、30代後半の年代は「壮年」と呼ばれているのだ。
いつだったか失念したが30代後半は中年というには少し若いから
「壮年」と呼ぶことにしました、みたいな報道があったよね。

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ピンクのバラは「しとやか」「上品」「感銘」だと。
『ベルばら』ではピンクはロザリーだったっけ。



ということは、中年とは50代のことを指すのだから、
おばさんも50代の女のことを指すはずなのだが、そうではない。

昭和→中年=30代後半=おばさん が
平成→中年=50代後半=おばさん に変わらなくてはならないのになぜか
昭和のままの認識で運用され続けているのである。

昭和(30数年前)の30代後半は現代の30代後半とは全く違っている。
30数年前の30歳後半の女は中学生と小学生くらいの母親になっていて、
おばさんと言われてもとくに気にしなかっただろう。だって中年だもん。

では現代の30代後半の女はどうかな?

バリバリ仕事をしている女が多いし、寿命が伸びた現代の30代は非常に若々しい。
30代で出産する人などざらである。結婚していない女もまだいるのだから、
おばさんと言われればカチンと来るのはあたりまえだ。

ところで男性の場合の 中年=おじさん は順調に
中年=50代後半=おじさんに変わっているのが不思議だがこの答ははっきりしている。
男の場合、年齢が上がれば上がるほど評価が高くなる場合が多いからだ。

若い男よりもおじさんの方がお金を持っており社会的地位も高く
一定程度の落ち着きがあり知恵(年の功っていうんですかね)もある。
(いや、みんながそうだってわけじゃないんですよ。おおまかにですよ)

女の場合はそうではない。

30代になると周囲(の男たち、とくにおじさん)の態度が微妙に変わり
常に「もう若くない」的な呪いの言葉を投げかけられることが増えてくる。
若くて美しい新入社員とわざわざ比較されることも増える。

そしてある日突然「おばさん」と呼ばれるのだ。

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赤いバラは「あなたを愛しています」「愛情」「美」「情熱」「熱烈な恋」。
『ベルばら』では当然マリーアントワネットさまであります。



もちろんこのおばさんには「軽い侮蔑の気持ち」がこもっており、女は
自然が自らに与えてくれていた若さを消費してしまいつつあることに気づく。
そして女の価値は「若さ」にあるのではないか! であれば、
自分にはすでに価値がなくなったのかもしれないと愕然とするのだった。

ううう、書いてて悲しくなってきた。

定義上50代から使用するのが妥当である「おばさん」という呼称が
いまだに昭和の定義のまま、もしかしたら悪意を持って使用されている、
というのが現状である。だからこそ「軽い侮蔑の気持ちを込めて」なのだ。

新明解国語辞典の「もう若くはないという相手に対する皮肉や自重を込めて」
という運用方法にも微妙な悪意を感じるが考えすぎだろうか。
「ハタチを過ぎるともうおばさんよ」なんて言う女がほんとにいるんだろうか。

「おばさん」とは女を縛る呪いの言葉である。

定義上のおばさんカテゴリーに入っているわたくし的には何の問題もないが
30代の、わたくしから見ればまだ「女の子」である人々におばさん、
なんて言うのはちょっとどうなのよと思うのだがみなさんどうですか?

しかし日本社会(とくに男とおじさん)が女を「若さ」で見ることをやめるまで
30代後半から50代までの十数年間、この「おばさん」という「軽い侮蔑」的表現、
呪いの言葉は継続され続けるだろう。

いつかそうではなくなる日が来るかな? 
日本社会が成熟し「大人の国」になるまではムリかもね。


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ほんたべ農園2015年夏作総括

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今年は食用菊がたんまり収穫できました。とてもしあわせです。
来年の新芽で再び増殖してさらにたんまり収穫しようと
今からはりきっております。



全くUPしておりませんが順調に冬作にスイッチしておりますほんたべ農園。

いつもならまき遅れて生育の止まったちびっちゃいかぶを食べてる1月に、
今年は売ってるかぶと同様の大きさのものが収穫できているという
ひゃっほう! なんてしあわせなんだ! 状態である。

すべてこの暖かさのおかげだ。

5年くらい貯蔵していたタネのせいか欠株が多く
12月初旬にキーって感じでまき直し「もうムリかもー」とか思った
キヌサヤ・スナックエンドウも問題なく発芽し霜にもやられず
フツーに越冬できる大きさまで生育しているのだった。ほっ。

それにしても、暖かさにもほどがあるよなあ。
しかし作業遅れめのわたくしにとってはとりあえず結果オーライなのだった。

さて、夏作。

そんなに暑さが厳しくなかった8月まで全体的に順調だったが、
34度とかになって以降、水をやろうが何をしようが全くダメで、
鳥取に帰省して帰ってきたらきゅうりが半分ほど枯れ上がっており、
その後盛り返さずに終わってしまった(泣)。

トマトは9月下旬に8段目以降が結実せず終了。
しかし、今年初挑戦の連続摘芯は一本仕立てより着果率が上がり、
最終収量は一本仕立てよりも少し多く一株15~17個。
念願の「貯蔵用自家製トマトソース」を作ることができた。うひひ。

ナスの剪定はやっぱりよくわからず、初期に成長点を摘芯し、
側枝2本仕立にしてみたら非常に生育が悪くなり、
摘芯せず側枝を一本伸ばしたものの方が順調に生育・着果した。

成長点を摘んですぐ生育が一時的に止まって花が咲かなくなったから
素人はそういうことをしてはいけないということであろう。
木嶋利雄さんの技術はわたくしには難しすぎたのだった。
つーことで今年はいつもの「なんちゃって仕立て」でいこうっと。

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途中まで収量を数えていたなすは一本あたり約30個、ピーマンは60個弱だった。
目標を大幅に下回り悲しいわたくし。今年はがんばるぞ!!



さて、今回の区民農園で驚くことがひとつある。

粘土質で非常に硬くクワを入れると土の塊がごろんと浮き上がるような
「クソっ! こんな畑で根っこが伸びるか!」ってな土なのだが、どうも
微生物が大量にいるらしく、敷料のワラが秋には全て分解されていた。
籾殻もすでに見当たらない。これは今までで一番早い。

そしてすんげーうれしいことがひとつ。かぶがね。めっちゃおいしいの。

今まで借りた区民農園は、過去2回が区民農園になって初年度の畑で、
前回がたぶん5年めであった。

どの畑も夏作はまあまあおいしくできるのだが、なぜか
かぶの味がイマイチでわたくし的にはがっかりしていたのだった。
イマイチってのはわたくしの考える理想のかぶの味と違うって意味ね。

自分で作ったものは何でもおいしいなんて言う人がいるが、
どんなに愛情がこもっていようがイマイチなものはイマイチである。
ということでことかぶについて微妙にがっかりし続けていたのだが
今年の畑のかぶのおいしさといったら、まさに理想の味なのだった。

今回かぶは、きゅうりの後作に作った→肥料が残ってて虫害大発生
→葉っぱが見たこともないほど虫に食われた→くそう! もうダメかも!!!
てな感じだったのだが、虫に食われまくっているにもかかわらず
最初の収穫から甘くておいしく、生で食べるとりんごみたいな味がした。

糖度の低いりんごとかぶをサラダにするとどっちがりんごかわからないほどである

グリルで焼いてオリーブオイルと塩で食べる、とかいう雑な感じの
「料理じゃないでしょ、それ」的な調理方法でもめっちゃおいしく
きちんと料理するとさらにさらにおいしいのだった。素材の味って大切よね。

そしてこの理由はなんだろうと考えてみたわたくしは、
技術、ではなく区民農園の土だろうと思い当たったのだった。

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かぶの味の指針は生クリームとハムとかぶのグラタンである。
おいしいかぶからはペクチンが出てグラタンに微妙なとろみが出るのだが、
おいしくないかぶで作るとしゃぶしゃぶになってしまう。
今回のほんたべかぶはとろりとしたグラタンができるのだ! ひゃっほう!



今回の区民農園はおそらく4回転目(7年め)である。
前耕作者3名様が山のように石灰を入れてて石灰がチョー過剰なのだが、
直近に借りていたおばさまが大量に有機物を投入したと言っていた。
そのおばさまだけでなく、その前の人も粗大有機物を投入したのかもしれない。

見た感じの土は団粒構造にちっともなってないけど、微生物の量が多いのは、
敷料が速攻で分解されたこと、10月下旬通路においたオクラの残さが
もう見当たらなくなってることなどから推測できる。

ってことは、このおいしさは微生物のおかげなのではないだろうか?

1年11ヶ月しか借りられない区民農園で土づくりなんて難しい、
とか考えていたが、何人もの人の手を経ているうちに、もしかして
うまいこと土ができることだってあるのかもしれないなあと
わたくし的にはちょっとびっくりしているのだった。

継続して土づくりができたらどんだけすばらしい畑になるのだろう。
おもしろいなー、土づくり。とか今さら思ったりするわたくしでした。


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わたくしたちはそもそも獣肉を食べていなかったのか

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先日野川べりをチャリで走ってたらコガモを見つけました。
今までずーーーーっと子どものカルガモかマガモだと思ってました。
狩猟免許試験おそるべし!!! (以降鳥の写真提供・高取寛氏)
あ、これはカルガモですけど。



「日本人は肉を食べる習慣がなかった」と考えている人は多い。
わたくしも最近までそう考えていた。

仏教の伝来によって肉食はケガレにつながることから禁忌となり、
明治時代まで獣肉を食べていなかったと学校で教わったような気がする。
果たしてほんとうにそうだったのかな? ってことで調べてみた。 

獣肉を食べていなかったと言われている根拠は、
675年に出された天武天皇の勅令であるらしい。

「庚寅詔諸國曰 自今以後 制諸漁獵者 莫造檻 及施機槍等類 亦四月朔以後
九月三十日以前 莫置比滿沙伎理梁 且莫食牛 馬 犬 猿 鶏之肉 以外不在禁例
若有犯者罪之」

→肉に関する部分のみ翻訳
「4月1日から9月30日まで牛・馬・犬・猿・鶏の肉を食べてはいけません」

食べてはいけないのは人間にとって有用な動物のみで、しかも農繁期だけ。
「使役用の動物を食ったりないでまじめに農作業やれ!」ってことか。
ここで驚きの事実がひとつ→鹿と猪については全く禁止されていない。

つまり農繁期でも鹿と猪は食っても良かったのだった。

10月1日以降、食べてはいけないとされていた牛馬犬猿鶏を食べたかどうかは
推測するしかないのだが、わたくしは絶対に食べていたと思う。
身近にいる家畜(使役動物)が弱ったら食わないはずがないのだ。
当時食料に余裕はないはずだ。おなかが減れば食うのはあたりまえである。

この勅令が出た後、貴族や僧侶などのやんごとない方々、武士の上流階級は
獣肉を食べることが認められなくなったようである。獣肉って四足の動物のことね。

理由は宗教的な禁忌によるものだ。血のケガレとかなんとか的な。
しかし農民や町民などの一般庶民はその限りではなかった。

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昨日家の前にヒヨドリの羽毛が大量に散らばっておりました。
猫の仕業でしょうが、ウチの近所にそんな野性的な猫がいることに
むしろ驚きましたです。おいしかったのかなー。


江戸時代後期になると、獣肉は公然と売られ食べられるようになる。
肉を扱う店のことは「ももんじ屋」と呼ばれ、肉食を「薬食い」と呼び、
猪肉を山鯨(やまくじら)、鹿肉を紅葉(もみじ)などと言って食べていた。

建前上は禁止だが実際にはその限りではない、というのは
わたくしたち日本人が得意とするところだろう。

例えば5代将軍・徳川綱吉の時代に「野菜初物禁止令」という、
ナスやたけのこを早く出荷することを禁止するお触れが出されたことがある。

このお触れは、農家がコメや麦などの基幹作物よりも、
高く売れる初物栽培に熱中したことから出されたが、
現実にはほとんど守られず、その後、何度も何度も出されている。

ちなみにウサギはどー見ても四足だがそうではないと考えられていたらしい。
という説がある。だからウサギは一羽二羽って数えるんだと。
やるな、日本人。なんて感じで、必要に応じて食べていたのではなかろうか。

さて江戸時代の狩猟とはどのようなものだったか。

農民は鉄砲を持ってはいけないから、わな猟が主だったのかも、
なんて思ってたがそうではなく鉄砲も使っていたらしい。

【1870年(明治3年)明治政府がそれまで幕府や藩が農民に貸し与えていた
鉄砲を回収したが、その数は実に150万挺であったという。ちなみに平成19年度の
我が国の猟銃の総数が約30万挺である】『狩猟学』朝倉書店刊 より引用

江戸時代の鉄砲の数ハンパありませんね!!!

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長野県松川町で見つけたシシ垣。テキトーに積み上げてる感じだけど
崩れちゃったのかもね。なんとなくハドリアヌスの長城みたい。



さらに現在同様「鹿猪の駆除」も行われていた。農民が藩に対して
「猪や鹿を駆除したいから鉄砲貸して」という申請を出して借り受けていたようだ。
だからこそ上記のように大量に鉄砲が残っていたのだろう。

また、現代の電柵とも言える「シシ垣」という鹿・猪よけ目的の石垣の跡が
全国各地にまだひっそりと残っている。当時から猪鹿は農民の敵なのだった。

駆除した鹿や猪の肉は食べ、毛皮も利用していただろう。
野生動物は余すとこなく使える天然の資源であり、牛や豚より身近な肉だった。
そうではなくなったのは高度経済成長期以降である。

養豚や養鶏技術が確立され、効率よく肉が大量生産ができるようになり、
道路が整備され物流網が発達すると品質を維持したまま肉が流通できるようになる。
その結果、庶民にも牛豚鶏の肉がじゅうぶんに行き渡るようになった。

身近だった野生動物の肉はあっという間に特別なものになった。
お店に行けばいつも同じ品質のおいしいお肉が買えるのに、
わざわざ山に行って鹿や猪を取る人はいないだろう。

手間がかかり品質も安定しない野生動物の肉は急速にその輝きを失い、
一般庶民から遠い存在となり、なぜだか輸入された言葉「ジビエ」と呼ばれ
いつの間にかレストランで食べる付加価値商品になった。

日本人が豊かになり食卓にさまざまな料理が並ぶようになると、
わざわざ野生動物を狩る必要はない等の考えを持つ人たちも現れる。
殺生を嫌がる風潮もありハンターは当然のように減少した。
そして野生動物の被害は昨今年間200億円を超えるようになった。

鹿個体数
ハンターの人々の話聞いてると猪はおいしいしお金になるけど
鹿は好きキライがあったり売れなかったりであんまり人気無いみたい。
北海道にしか行ったことなかったから鹿の話ばっか聞いてたけど
みんな猪が好きなのね。んじゃ鹿を積極的に食べないとねえ。



野生動物被害のタネはわたくしたち日本人が豊かになっていく過程でまかれた
と言ってもいいだろう。それは社会の変容によって芽吹き、かなりの大木になった。
誰かの責任ではなくわたくしたちの【現在】がこの木を育てたと言ってもいい。

であれば、わたくしたちにできることは何かあるだろうか。

とりあえずレストランに行ったらイベリコ豚ではなく猪を食べる。
くらいしか思い浮かばない今日のわたくし。
みなさまも考えてみてくださいまし。


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【新年のごあいさつ】365日のごはん

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見よう見まねの東京風のお雑煮がだんだんおいしくなってきた。
ヤバい! 鳥取の小豆雑煮(ぜんざいにあらず)を作らなくては!!!
しかし大量の砂糖を食べられるお年ごろではなくなってるし、
そもそも餅が苦手だ。



あったかくていいお正月でしたねー東京。
みなさま、いかがお過ごしでしたか? 

年末から飲んだくれて3日には肝臓が「もうやめてー」状態だったり
数の子の塩抜きを忘れておせち料理をなぜか元旦に作ったり
東京風雑煮を作ったら思いのほかおいしくて
鳥取市民の心(小豆雑煮)を忘れそうになったりしたわたくしです。 

ともあれ年は明け、一日に数回食事をするという
生きものとしてあたりまえの日々がまた始まっております。

お正月にだらだらと酒を飲み、だらだらと何かを食べるという習慣が
年を取れば取るほど難しくなっており、メリハリが必要だよね
なんて思うようになったのも最近のことで
今年は一日2~3回にきちんと分けて食べてみました。

そしてふと思ったわけです。わたくしは一年に何度食事をするか。

わたくしは一日だいたい2回ごはんを食べております。
朝っぱらからおなかが空いたら朝も食べますが、おおむね2食です。
ということはざっくりと365×2=730回、ごはんを食べているのでした。

730回のごはんのうちほとんどは自宅で作っており、
外食は月に5回程度。なので外食回数はざっくり5×12=60回。
730-60=670回ほども自分でせっせとごはんを作っているのでした。

おお、すごいじゃないか! 670回のうちごはん!
あらためて考えてみるとなんと気が遠くなるような回数ではありませんか!

しかし食べなければわたくしは死んでしまうので食べざるを得ないのです。
それはわたくしだけでなくみな同じで、その食べたものがそれぞれをつくるわけで、
昨年の670回ぶんのうちごはんと60回の外食が現在のわたくしの原材料なのでした。

0004.jpg
朱塗りの重箱を持っているのにもったいなくて使えない貧乏性のわたくし。、
年末駅前をふらふらしてたら安っぽい重箱が3割引きで売られており、
速攻で購入しました。ひゃっほう! やったぜ! って感じ。
詰めてみるとそれなりに見えるから不思議だけど、朱塗りの重箱の立場は。


めんどくさいからテキトーでいいや的な手抜きごはんもカップラーメンも
高級フレンチのコースも280円の牛丼も、全て分解され吸収されて
皮膚や筋肉や脂肪や血液になり、不用なものは排出されております。

よくない物質が細胞を傷つけたりしているかもしれませんが
それはどこかに症状が出るまでわかりません。とくに50歳以降は
加齢による細胞の劣化はいかんともし難く、いつかは何かが起こるでしょう。

おお、なんてスリリング! ワクワクするな!!

自分のからだに起こることはおおむね食べものの蓄積の結果と言えます。
もちろんその他様々な要因もありますが、なにしろ基本は食べものです。
そして自分でコントロールできるのも実は食べものなのでした。

であれば、一日2~3回のごはんの内容を少し考えたほうがいいかもしれません。
昨今ではとくに45歳くらいから厚生労働省とかに「考えましょう」と言われます。
生活習慣病の最初のドミノが倒れるのはそのあたりのお年ごろだからです。

ごはんは日々のことですから忙しさにかまけてテキトーにしがちです。
しかし一年間で考えてみるとものすごい回数食べているわけで、
しかも3食食べている人はえーと365×3ですから1095回にもなるのです!
毎回テキトーだとやっぱり良くないよなあと思うわけです。

一年のはじまりですからやはりここは居住まいを正して
ご自分のごはんの来し方行く末を考えてみてもいいかもしれません。

ところでわたくし的今年の目標は「自分で撃った鴨を食べる」ですが、
もう少し酒(主にビール)を控えめにしておこうとも考えております。
なんちてー。えへへ。

今年一年、みなさまに口福が訪れますよう、そして
笑って楽しく健康に過ごせますよう、心から祈っております。

今年もよろしくお願い致します。


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プロフィール

ほんたべ

Author:ほんたべ
手島奈緒
おいしい食べものをつくる人を紹介したり応援したりしております。ブログをまとめた著書『いでんしくみかえさくもつのないせいかつ』(雷鳥社)『まだまだあった! 知らずに食べてる体を壊す食品』(アスコム)『儲かる「西出式」農法』(さくら舎)など。現在ハンター修行中。

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