「自然農法」の「自然」は実は「自然」

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幼い頃禅宗のお寺で習字を習っていたので座禅はお手のものなんだが、
妄想もお手のものでありまして、まあ瞑想の「め」の字にもなっておりません。
雑念をどうやってやり過ごすか。習字よりその技術を教えてほしかったなあ。



禅問答のようなタイトルですんません。

わたくし時折、講演などすることがあります。
有機農業についてとか、有機と有機JASと有機農業の違いとか、
なんとなくわかりにくい用語についての講演が多いです。
昨年は「自然農法と有機農業」というタイトルで、
講演をさせていただいたです。

自然農法についてはわたくし一線を画しており、
それまでは、心の中の「よくわからない箱」に入れてありました。

なんで一線を画していたかと言うと、客観性がないこと、
非常にあいまいで定義付けがしにくい用語に思えること、
自然農法を実践して、採算が合うかどうかが不明なことの3つが理由。

だってさあ、「自然農法」って言ったもん勝ちだからね。

有機JASが施行される前の有機農業みたいなもんで、
なんちゃって自然農法・自然栽培と、
真剣に取り組んでる人たちとの区別がつかないの。

その状態は、消費者にとっても不幸なわけ。

なんちゃって自然農法の野菜をべらぼうな価格で買ったりして
自然農法でなかったなんて後でわかったら、悲しいでしょ。

なんて思いつつ、講演資料を作っていて、
むかーしむかし、宇根豊さんに聞いた話を思い出した。
そして「自然農法の自然の意味」に突然思い当たった。

それまで全く繋がらなかった脳内のシナプスが
それをきっかけにぱぱぱぱーっと繋がり、目の前がぱあっと明るくなった。
お風呂に入ってなかったので「ユリイカ!」とは叫ばなかったが、
良く似た状況だったですよ。おお。あぶない、あぶない。

んで今回のタイトルになるわけです。

さて、現在当たり前のように使われている「しぜん」という言葉は、
実は「nature」という英語が日本に入って来た時、
福沢諭吉先生が翻訳してあてた言葉であった。

明治以前の「自然」は「じねん」と読み、現在の環境とか
山とか川とかの自然を表す言葉ではなかった。
というか、どうも仏教の用語であったらしい。

「自然といふは、自はおのづからといふ、行者のはからいにあらず、
しからしむといふことばなり。自然といふは、しからしむといふことば、
行者のはからいにあらず。如来のちかひにてあるがゆへに」
(『自然法爾(ほうに)章』)親鸞聖人『末灯鈔(まっとうしょう)』の第五通

上記の難しい言葉を現代語訳すると、以下になる。

「自然(じねん)」というのが自ずからということで、
人間のはからいによって移り変わったり、どうとかできるものではない。
すべてが自ずから真実の働きを現している。
それが如来の誓いである」

「如来の誓い」って言われるともう何がなんだか
煩悩のカタマリのわたくしには理解できないが、
平たく言うと「あるがままの状態」が「じねん」である。

あるがまま。つまり人が手を加えたりコントロールしたり
全くできないもの・しないものが「じねん」なのであった。

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まじまじと見るとホタルって気持ち悪くて全然好きになれない。
同じ発光する生物ならホタルイカの方が好き。おいしいしかわいいし。
でも小さいって言えばイイダコの方が好きかなあ。おいしいし。
あああ、そういえば、一回イイダコ釣りに行ってみたいなあ。
↑ 瞑想している時に起こりがちなものすごくとりとめのない連想(泣)



自然農法の自然は「しぜん」ではなく「じねん」なのだ。

そう考えると「自然農法」がどういうものかすっきりと理解できる。
「あるがまま」なのだから、そこに「ある」以上でも以下でもない。
つまり「あるがまま」で手を加えない農法である。
そして、「農法」ではなく「思想」なのだった。

しかし、思想ではうまく作物ができない。
だから、自然農法を実践している人たちの中には
「ここまでOK」という栽培のルールを作っている人たちもいる。
それはそれで良いことである。客観性が保てるからね。

この「自然」と「じねん」の違いがわかると、日本人と欧米人の
「自然」に対する意識の違いがすごくわかるようになる。

日本人の感性は、自然はあるがままのものであり、
ふだんそこにあることすらほとんど意識していないものだ。
自分たちも自然の一部であり、他の生物と同じ位置にいる。
「ミミズもオケラもアメンボも皆友だち」とか歌ってしまう。

しかし、欧米の人々はそうではない。
「自然」も牛豚鶏のように神様が人間に与えてくれたもののひとつだから、
natureは支配できるものだ。支配するから守ることもできる。
人間はすべてのものの一番上に位置している。だから
マラリアを媒介する蚊が邪魔になると絶滅計画を立てたりする。

虫はわくもんだと思ってる日本人に絶滅計画は立案できない。
ホタルもわくものだから、いなくなって初めて気づいて慌てる。

自分たちも自然の一部。だからあるがままを受け入れる。
そのせいかどうか、日本人は自然に対する認識が少し鈍い。
だってさあ。自然を守るって言葉、なんかしっくり来なくない?
守るもんじゃなくて共生するもんだってやっぱり思ってるんだよね。

現在の日本人には、そもそもの民族的な認識である「じねん」と
明治以降よそからやって来てしっくりこない「しぜん」が混在しているのだった。

そのように考えると、いろいろなことに「なるほど!」と思うのだが、
わたくし的には山梨県の無農薬・無肥料栽培のすもも農家に
10年以上も「あるがまま」と言われ続けていたその意味と本質を、
何一つ理解してなかったことが大きな衝撃であった。

彼はまさに福岡正信さんの言うところの正統派自然農法を実践してたのに、
全く気づかず、はいはい、そーですねー、ヘラヘラ~とか聞いてたのだった。

あああああ。何やってたんだ、自分。
こういうのを「天然」って言うんだろうなあ。
なんちて。このオチもイマイチなのだった。うううう。


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No title

こんにちは。

なるほど、漢字で書けば同じ「自然」だけど、「しぜん」と「じねん」をはっきり分けて考えなくちゃ、いろんなことがおかしなことになってくるよ、ということなんですね。
「じねん」は字義通り、「おのずからしかり」ってことですもんね。それが如来のみこころ。
『古事記』のいっとう最初のほうに「・・・次に国わかく浮きしあぶらの如くして、くらげなすただよへる時、あしかびの如く萌えあがる物によりて成れる神の名は云々かんぬん」という語句があるんですが、あれですね。仏教以前に日本人の感覚として深く刻まれている、「だってなんとなく神様が湧き出てきたんだもん」的感覚。神様でさえもとはぼうふらみたいに湧いて出てきたんだというイメージ。
これがキリスト教やイスラームの世界ではこうはいかないでしょう、「はじめに(神の)言葉ありき」ですから。すべては「唯一の神」に起因するわけで、八百万の神々さえ「おのずからしかり」な日本人の感覚とは絶対的に相容れないものなのかもしれませんね。
「しぜん」はその唯一神的思想を経由した概念ですから、日本人には本当の意味では理解できないのかもしれないです。ただし悲しいかな今の時代、「しぜん」の方がそれこそ自然に受け入れられていて、「じねん」のほうはどこか胡散臭い思想としてしか扱われなくなってしまっているという捩れがあるのは残念な気がしますです。
・・・農業とは関係ない方向へ妄想が暴走しそうなのでこのへんで。

ではでは [腟究–‡絖—:v-22]

Re: No title

Fuさん

こんにちは。
大変ためになるコメントをありがとうございます(笑)。
さすがです。

> 仏教以前に日本人の感覚として深く刻まれている、「だってなんとなく神様が湧き出てきたんだもん」的感覚。神様でさえもとはぼうふらみたいに湧いて出てきたんだというイメージ。

おお、古事記からそのように書かれているのですね。
それは知りませんでした。

神様が湧いて出たっていいですねえ。
そういえばイザナミ・イザナギから生まれる子どもたちも、ミョーな生まれ方してますもんね。

> 「しぜん」はその唯一神的思想を経由した概念ですから、日本人には本当の意味では理解できないのかもしれないです。ただし悲しいかな今の時代、「しぜん」の方がそれこそ自然に受け入れられていて、「じねん」のほうはどこか胡散臭い思想としてしか扱われなくなってしまっている

しぜんとじねんを分けて考えると、はた!と思い当たることがたくさんあるので、
日本人の根底にはまだ「じねん」が流れており、その方がしっくりするんだと思います。

皆「じねん」という言葉を知らないだけなのかもしれませんね。

No title

なるほど。

読んでいて、自然を「じねん」と読む事例として
一番身近なのは「自然薯:じねんじょ」かな?
ヤマトイモとも言うけど、
栽培してる(中国種 原産)が「やまいも」で
日本古来の山に原生してるのが「じねんじょ」

なんか、これだけは「人間が手を加えたモノ」と
「自然の恵み」が、今でも分別されている事例なのかなぁ
…と妄想茸(違うか・苦笑)

また、その「あるがまま自然に逆らわず…」という事なら
空手の「神道自然流:しんどうじねんりゅう」がピンと来る。
無理やり技をかけるのではなく
自然な流れの中で、自然とわき出るスタイルで
気が付いたら勝っていた…みたいなことが奥儀なのかな?
(専門家じゃないので、よくは知りませんが…)

だから、日本人も、「しぜん」と「じねん」を、
適宜に使い分けていたのではないか?と思います。

さて、農業の理念については門外漢ですが
なんとなく想い浮かんだのが
「英国式庭園」と「フランス式庭園」の事。
前者は、自然のままの<植生>を良しとし
後者は、人間の手で加工した<植栽>を楽しむ…というもの。
※釈迦に説法ですよね。

「西洋」と、一羽ひとからげに語るのも
なんだか違うような気もしますが、どうなのでしょうね?
…というか、翻訳した福沢諭吉が諸悪の根源かな?

この方、結構「誤訳」というか、変な訳が多くって
エコノミーを<経済>と訳すから、本質がわからなくなったり
「もうかりまっか?ぼちぼちでんなぁ…」の方が近いと思うけど

スポーツを<体育>等と訳すから
教育的指導と称する暴力が許容されたり…
※スポーツ評論家の玉木さんの言う
暴力をルール化して、暴力じゃなくしたものがスポーツなんだから
指導者が暴力をふるうなどは言語道断だ…というのが正しい。

等と言う実害も結構目立つんで
政府としては、万札の顔という権威を早急に剥奪して
千円札程度に格下げ
万札には聖徳太子に復活等が望ましい
…と考えるのは僕だけでしょうか?

以上、講演会のネタなどにいかがでしょう?(笑)

いや、決して不真面目なつもりではないのですが
僕が考えると、どうもいけませんね。

美味しい「バンビ」ありがとうございました。

Re: No title

癌ダムさん、こんにちは。

> だから、日本人も、「しぜん」と「じねん」を、
> 適宜に使い分けていたのではないか?と思います。

なるほど! そういえばそうですね。
うまく使い分けてあるのかもしれませんねえ。


> 「英国式庭園」と「フランス式庭園」の事。
> 前者は、自然のままの<植生>を良しとし
> 後者は、人間の手で加工した<植栽>を楽しむ…というもの。


英国式庭園を好む人も多いですから、
そういうのは自然との共生ってことなんでしょうねえ。


西洋」と、一羽ひとからげに語るのも
> なんだか違うような気もしますが、どうなのでしょうね?


英国はケルトの血が入ってるからかも(笑)
ケルトも多神教ですもんね。八百万の神的な。

> 美味しい「バンビ」ありがとうございました。


ブログ、楽しみにしております~♡

農業はいろいろあるけど

自分はこれから新規参入しようとまだ思考段階ではありますが いろいろみていて 有機農法・自然農法・水耕栽培などいろいろな農業の形態があり いまひとつ どれが 正しいのかよくわかりません
収益性だけで考えるなら 施設栽培で トマトや葉物だけをとり扱ったほうが 利益をうみます
しかし ほとんどの新規就農者は 露地栽培を目指します
露地栽培は 一番天候に左右されるし 経営面で考えると 大変なんではと自分なりに思ったりしていますが どうなのでしょうか
資金面の問題はありますが もし 資金ドガイシで考えるなら 露地をやられているかたも 施設栽培されるのでしょうか
それともそれ以上の意図があって 露地栽培をされるのでしょうか

Re: 農業はいろいろあるけど

だんご侍さん、こんにちは。
コメントありがとうございます。

> 収益性だけで考えるなら 施設栽培で トマトや葉物だけをとり扱ったほうが 利益をうみます
> しかし ほとんどの新規就農者は 露地栽培を目指します

施設栽培するのには初期投資がかかります。
ハウス一棟建てるのにどれぐらいかかるかわかりませんが、
トマトハウスだと完遂設備やその他もろもろかなーり高いはず。
育苗ハウスを建てるのとは経費が違います。

その経費と、あとは技術じゃないでしょうか。

施設園芸するには技術が必要です。
水管理や温度管理など、農業初心者にはなかなか難しいのではと思います。
でも新規就農でトマトを栽培している方もいらっしゃいますから
いちがいにそう言えないのかもしれません。

あとは、有機農業を目指す場合は露地栽培を選択される人が多いように思います。
トマトやきゅうりの有機栽培って、やっぱり少し難しいと思います。

> 露地栽培は 一番天候に左右されるし 経営面で考えると 大変なんではと

大変だと思います。

でもわたくしの知り合いで、その大変さを楽しんでやってる方もいらっしゃいます。
露地が一番おもしろいって言います。
まあ、土づくりができてて技術もあるからなんですけどねえ。


> 資金面の問題はありますが もし 資金ドガイシで考えるなら 露地をやられているかたも 施設栽培されるのでしょうか


露地からスタートした人が何年目かで施設栽培に移行した例はあまり知りません。
選択するなら最初から施設で、トマトで、みたいな感じです。

でもま、本庄市みたいに一年中畑が使えて土もよくてみたいな土地なら、
露地でもハウスでもいいんでしょうが、一年一作の山梨なんかだと
露地は大変みたいな、それぞれの土地柄もあります。

まず就農したい土地を決めて、そこにあった作物を探すのがいいんじゃないでしょうか。

農地・人・プランという助成金制度があるうちに
就農されるといいと思います。

No title

詳しく説明していただきありがとうございます
そうですね
住んでから作物決めても いいのか
今から自分なりに 本を読んで 頭の中で 考えていると 何を作ればいいのかわからなくなります
これからの時代 農業が日本を救うときがくるのだと自分は思っています

Re: No title

だんご侍さん

こんにちは。

> 住んでから作物決めても いいのか

その地域に向いてるものがありますから、就農の際に聞いてみるといいと思います。
新規就農者の相談会みたいなの、ありますよね。
出荷先があって、大きな団体が受け入れてるみたいなところだと、
就農してからもいろいろ助けてもらえます。

私の知り合いはいきなりトマトハウスを助成金で建てて、トマト農家になりました。
そういうやり方もあるみたいです。

> これからの時代 農業が日本を救うときがくるのだと自分は思っています


がんばってくださいね。
応援しています。

No title

わたしも「自然」って言葉に違和感がありました
自然の反対語は人工なんて辞書に書かれてて、それもそうなんですが、それより人間も自然なもので、その人間が造ったものすべてが自然だろうと思うのです。橋やビルや家電だって自然だろうと
だって鳥が造る巣は自然で人間が造る家は自然じゃないっておかしいでしょ?ビーバーが造るダム(家)が自然で人間が造るダムは自然じゃないっておかしいでしょ?
こんなことをグダグダ思い悩んだりしてましたが、そうか!わたしの思う自然とは「じねん」だったんだ ときづかせてくれたほんたべさん ありがとうございます

Re: No title

ばけっちさん

こんにちは。
コメントありがとうございます!
遅レスになって申し訳ありませんです。

> だって鳥が造る巣は自然で人間が造る家は自然じゃないっておかしいでしょ?ビーバーが造るダム(家)が自然で人間が造るダムは自然じゃないっておかしいでしょ?

うーむ、これは新しい視点ですね。
熟考してみたいと思います。

「あるがまま」はあるがままなので、個々人が思うあるがままは人それぞれ。
なんてことを気づかせていただきました。
ありがとうございました。
プロフィール

ほんたべ

Author:ほんたべ
手島奈緒
おいしい食べものをつくる人を紹介したり応援したりしております。ブログをまとめた著書『いでんしくみかえさくもつのないせいかつ』(雷鳥社)『まだまだあった! 知らずに食べてる体を壊す食品』(アスコム)『儲かる「西出式」農法』(さくら舎)など。現在ハンター修行中。

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