すっぱいりんごを愛してた原志朗さんのこと

gazou 045
原志朗さん。享年50歳。ハーレーとロックとお酒と本が好きな人でした。
カメラ目線の笑顔を撮られるのが苦手で、撮影にはいつも苦労しました。
会えて楽しかったよ。ありがとう。


初めて原志朗さんに会ったのは、わたしが某D社に入社して2年目、
某D社恒例の、長野への夏の産地交流ツアーだった。
志朗さんのことははっきりとは覚えていない。
たぶん飲んだくれて二日酔いだったからだと思う。

次に会ったのは、産地担当になった2000年の秋だった。

落葉果樹という恐れ多い品目担当になり、
長野県でチョー有名なりんご界の巨匠、故・原今朝生さんちに
担当引き継ぎで訪問したら、同僚が道を間違えまくり、
6時の約束が8時半に到着した。ああああ、どうしよう。

「良く来たなあ」とにこやかに迎えてくれた今朝生さん。
次男の俊朗くんがいたかどうかは覚えていない。

長男の志朗さんはこたつの向こうで怖い顔をしてわたしを見て、
「んじゃ、仕事の話をしなさい」と言った。
「ひい~。迷ったのはアタシじゃないのにい~」と同僚を恨んだ。
作付の話をしたんだろうが、ほとんど記憶にない。

後で、ずいぶん前から顔は知ってたらしくて、
短期間に痩せたり太ったりしてるから、
会うたびに別人みたいだって思ってたって聞いた。

志朗さんとは同学年で、ロックが好きで酒が好きで、
読む本の傾向も似てたから、すぐに仲良くなった。
そのうち「しろちゃん」「ねえさん」と呼び合うようになった。

IMG_0373.jpg
紅玉は酸っぱくて、どうかするとパイなどの加工用と言われるけど、
志朗さんちの紅玉は、そのまま食べても味わい深くておいしくて、
パイにしようとつまみ食いしてたら全部そのまま食べちゃったとお手紙もらうほど。
悩みに悩んで一番いい状態で採ってたから。普通はそんなことしないのね。



さて、原家の二人、志朗さんと俊朗くんが作るりんごはおいしい。
おいしいから某D社では特別な売り方をしていた。
原さんのりんごだけを頒布する「りんご七会」という企画だ。

10月上旬にスタートする秋映から、千秋、紅玉、王林、新世界、
その他の中生種のりんご、ふじと7回つながるこの頒布会は人気で、
わたしが担当している間に、某D社の秋のメイン商品になった。

故・原今朝生さんはりんご界ではチョー有名人で、
今日本で一番作られてるふじの枝変わり品種を発見した人だ。
畑にはいろんな品種が植わっていた。
一度も出荷されずに切っちゃった品種もあった。

志朗さんが愛したりんごも、そのなかのひとつだ。

志朗さんの畑には「紅玉」と、
紅玉以上にすっぱいそのりんご、「グラニースミス」が植わっていた。
これは今朝生さんが畑に少しだけ持っていて、
「売れねえから切っちまおう」と言ってた品種だった。

志朗さんはこのすっぱい緑色のりんごを気に入って、
自分の畑にたくさん接いだ。

某D社の消費者も、このすっぱいりんごを愛した。
他の流通では入手することができない、すっぱいりんごだ。
どうしてこれが売れるんだ。今朝生さんはいつも不思議そうだった。

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「グラニースミスってさ、ビートルズのアップルレコードのレコードについてる
りんごなんだよ~」って教えてくれたのも志朗さんだった。
緑色だから葉摘みも玉回しも必要ない、省力化できるりんごだ。
確かにこれがたくさん作られ始めたら、りんごの世界は変わるだろうな。



今朝生さんが亡くなる一年前、
今朝生さんと2人で志朗さんの畑に行った。
志朗さんは畑にいなくて、2人でグラニースミスを見てたら、
今朝生さんがつぶやいた。

「こんなりんごが売れるなんて、俺は思いもしなかったなあ。
作る志朗もへそ曲がりだけど、D社の会員もへそ曲がりだなあ。
へそ曲がり同士で育てたりんごだわ。
このりんごがりんごの世界の常識を変えるようならおもしれえなあ」

この言葉を志朗さんが聞いたら喜ぶのにな。
そのとき思ったけど、志朗さんには言わなかった気がする。

言えばよかった。

今朝生さんの言うとおり、志朗さんはへそ曲がりで、こだわりが強くて、
りんごの出荷時期には毎日電話がかかってきた。

「なからいいじゃないかやあ」
今朝生さんや弟の俊朗くんはいつもそう言ったが、
志朗さんは「いや、まだちょっと渋い」「味がのってない」と
最後の最後まで出荷のタイミングに悩んでた。

りんごの収穫も人にまかせないで自分でやってたって聞いたのは、
こないだのことだ。たくさんあるりんごをほとんど自分で採ってたらしい。
どれだけの作業だったのか想像もつかない。
細くて鋼のような身体だった。働き者の身体だった。

行くたびに飲んだくれて、ある時ウイスキーを一本あけたこともあった。
翌日わたしは夕方まで起き上がれなかったが、
志朗さんはふらふらになりながら早朝に農薬をまきに行った。

泊りに行くたびに仕事の邪魔して迷惑かけてたんじゃないかと、
今になって思う。でもいつも連れ合いの明子さんと二人、
にこにこ笑って迎えてくれた。

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息子と同じ名前の「こうたろう」。「親バカじゃないからね」って言ってたなあ。
ほんのり不思議な芳香のするおいしいりんごになった。志朗さんの畑には
アキタゴールドとか新世界とか、マイナーな品種が植わってた。
へそ曲がりの面目躍如ってところかな。



ずっとずっと長野に行けば志朗さんがいるもんだと思ってた。

志朗さんがもう長くないんだってって聞いたのは、
10月のことだった。え、なにそれ。どういうこと?

そう言えば、4月に電話がかかって来て、
「りんごの受粉どうする?」
「花粉症になっちゃったからムリ~」って話したきり、
貧血やらなんやらで一度も連絡を取ってなかった。
いつも夏には電話してるのに。なんでしなかったのか。

最後に会っといた方がいいよ。そう言われて長野に行った。

何の話をしたらいいのかな。そうだ。楽しい話をしよう。だから、
楽しかった話をした。産地担当になって、出会って12年経ってた。
一年に3~4回は行ってたから、思い出は山のようにある。

会えてよかった。楽しかったよって言ったっけ?
言わなかったかもしれない。言えばよかった。
「ねえさん、良くなったんだよ」
そう言って笑う志朗さんの夢を何度も見た。
夢の中の志朗さんは少し太っててとても幸せそうだった。

でも、1月に志朗さんは逝ってしまった。

お通夜と告別式に行ったけど、なんだかよくわからなかった。
家に行けば、いつもと変わらない志朗さんがいて、
「ねえさん、ビール飲む?」って笑いながら言ってくれる気がした。

ワイ性台が主流のりんごの樹を、きょう木にするんだって、
5年くらい前から剪定方法を変えてた。
「大きな樹の方が、りんごがうれしそうだしさあ、気持ちいいじゃん?」

風が通り抜けてさ、りんごの葉っぱがさらさら音たててさ、
りんごの樹の下でお茶でもすると気持ちいいよね。
しろちゃんが作りたかった大きな樹のりんご畑で、
またBBQしたかったよ。

でもまた、どこかで会えるよね。

告別式で涙が出なかったのは、そんな気がしたからだよ。
いつかまたね。りんごの樹の下で会いましょう。


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大変興味深い内容で楽しく拝見させていただきました。

また遊びに来ます。

ありがとうございました。
プロフィール

ほんたべ

Author:ほんたべ
手島奈緒
おいしい食べものをつくる人を紹介したり応援したりしております。ブログをまとめた著書『いでんしくみかえさくもつのないせいかつ』(雷鳥社)『まだまだあった! 知らずに食べてる体を壊す食品』(アスコム)『儲かる「西出式」農法』(さくら舎)など。現在ハンター修行中。

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