さよなら、大地を守る会

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農家のおじさまたちと過ごした時間は宝石のようにキラキラしていました。
産地担当になれてほんとうによかったです。
農家の方々みんなにありがとうございましたと言いたいです。



9月30日、わたくしが18年間勤務していた大地を守る会がなくなり
10月1日からオイシックスドット大地になった。

大地宅配というブランドは残るため「消滅」ではないが
そのうちどんどん変わるだろう。でもまあそれでいいのだ。
結果として取り扱う野菜の量が増えて有機の畑が増えればいいのだ。

わたくしは、大地を守る会で、PCの操作、デザイン、文章力、編集、
交渉力、マネジメントなどに加え、イベント運営やその手法など
さまざまなスキル及び知識を身につけることができた。

これらはすべて今の仕事のベースになっており、
まさに「大地を守る会あってのわたくし」である。
藤田さん、入社させてくださってほんとうにありがとうございました。

さて、わたくしの入社は1992年6月である。

ちょうど「食の安全」に興味を持つ人がどんどん増えてきたところで、
手狭な調布から市川塩浜に事務所を移したところだった。

それまでは人・金・時間など余裕がなくて思うとおりにできなかった運動を、
これからやっていきましょう! とかで、原発反対、牛乳パック・低温殺菌牛乳、
学校給食、米、ごみ問題などのさまざまな活動を始めたところでもあった。

わたくしが配属された広報室には「運動局」という部署ができ
市民運動方面で著名な方が専任で配属されたばかりでもあった。

そしてさまざまな「体育」ではない「運動」が目の前で繰り広げられ
運動なんてヤダヤダヤダヤダヤダと思いつつ、広報という仕事柄関わりが深く
いつの間にか体の芯までしみ込んでいたことに気づくのは退職後である。

1990年代は有機農業及び環境関係でさまざまなことが大きく変わった10年で、
入社して数年後には「なんちゃって有機農産物」排除のための
「有機農産物ガイドライン」が制定された。

もんじゅが稼働するとかでフランスから日本にプルトニウムが運ばれてきたり、
士幌農協で放射線照射ジャガイモがつくられはじめたり、
六ケ所村に放射性廃棄物処理施設ができたりと原発関係も賑やかであった。

そして1997年からは遺伝子組み換え作物反対運動が始まった。

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大地を守る会の落葉果樹生産者は地域の名士、その作物の先生などと
言われる人がとても多くて、畑で話を聞いてるだけですげー勉強になりました。
その知識があるのとないのとでは聞ける話が違ってくるので、
今でもとても助かっています。



大地を守る会はこれらすべてに反対し、問題提起し、いろいろな形で関わり、
わたくしは広報(その後制作)として関わり経緯を見つめることになった。

2000年、反対運動も虚しく有機JAS法が施行され、
わたくしは制作から生産部門に異動し
産地担当として有機JASの取得を勧めることになった。

反対してたのになんで推奨するんだっけ? とちらりと思ったが、
反対の理由すらよくわかっていなかったので粛々と進めた。
今ではちゃんと説明できるので当時のわたくしに説明してやりたい。

わたくしは全国の落葉果樹産地を一括で担当し、
2002年の無登録農薬事件の際には思い切り振り回された。
この事件のあと、農業関係の法律がゴソッと変わり
手のひらを返すような農水省の対応に唖然とした。

まず農薬取締法が、その後食品衛生法の残留農薬基準値が変わり、
「すももとさくらんぼにまける農薬がなくなるじゃんか!!」とか
「暫定農薬の申請を県にしてください早くして早く早く!!」とか産地に要請し、
地元のJAとか全然対応してないよー(泣)と言われてチョー焦ったりした。

ポジティブリスト制でデフォルト数値が0.01 ppmになると聞いたときには、
そんな基準じゃ市販の野菜や果物は売るものが無くなるよねとか思ったが、
とくに問題ないようであった。おかしいなー、0.01ppm だぞ。

2001年にはBSE問題が起こり、他では全くそんな対応をしていないのに、
大地を守る会はバカ正直に牛の流通を止めてニュースに出たりした。
わたくしはそのとき初めて「大地ってエライなー」と誇らしく思った。

それ以前に大地を守る会のことを誇らしく思ったことがなかったのは
わたくしが「広報」という部署でふわふわと働いていたからだ。

広報の仕事は中空に浮いている概念や思念を画像や言葉にして人に伝える
というもので、見たままを自分の言葉で創作するけど「リアル」ではない。
ものを動かすことはできないし金銭も発生しないし交渉もしない。
ひたすら美しい物語は書けるが中身がないとも言える。

産地担当は農家のおじさま方とリアルで生臭い話をする。
彼らの家族の生活を成り立たせる「お金」の話をし、作物の価値について考え、
作物を通じて消費者の、また、農家の生活に対しても責任を持たなくてはならない。

宙に浮いていたわたくしは地面に降り立つ必要があった。というか、
おじさまたちと飲んだくれているうちに地面に足がついたって感じで
ある日気がついたらわたくしは自分の足でしっかり立っていた。

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「女の産地担当なんか信用できない」とか「夜叉」とかあだ名されましたが、
あとでずいぶんかわいがってもらえたのは、わたくしがニブいからでありましょう。
鈍くてよかったなー



仕事には世のため人のため、地域のためにすべきこと「しごと」と
自分の日々の生活のためにお金を稼ぐ「稼ぎ」の2種類がある。
わたくしは今「自分のしごと」をしているのだと思った。

作物を仕入れてどんどん売ることで有機の畑が増えれば地域が変わる。
農薬の使用量は減り環境は破壊されず今よりも良い世界になるはずだ。
売って売って売りまくるのだ! 野菜を売って世界を変えるのだ!

2006年に産地担当から編集に、いやいや異動してすぐに、
大好きだったりんご農家がお亡くなりになった。

この農家は今の日本で栽培されている着色系のふじを最初に見つけた人であり、
りんご栽培に多大な貢献をした人でもあるがその実績をあまり知られていない。
わたくしはそのことを知っていたのにきちんと伝えられなかったことを悔やんだ。
そして情報発信部署に「部署長」として異動したのには意味があると考えた。

地に足の着いた情報を発信するのだ。リアルな情報、浮わついていない情報を。

わたくしのなかに「核」ができたのはこのときである。
それ以来ときどき揺らいではいるけれどあまり本質は変わらない。
足はまだ地面にべったりついている。

大地を守る会は無くなっても、わたくしの「核」はそのままで、
そこにはすでに失われた大地を守る会らしさが脈々と息づいている。

辞めた同僚のなかにもこれらはさまざまな形で残っているはずだ。
だからすこーしだけさみしい気がするけどとくに問題ない。
同じ時間を過ごした人たちとはまだつながっている。
目には見えないけどきっと何かが。

長い間ありがとう。そしてさよなら、大地を守る会。


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プロフィール

ほんたべ

Author:ほんたべ
手島奈緒
おいしい食べものをつくる人を紹介したり応援したりしております。ブログをまとめた著書『いでんしくみかえさくもつのないせいかつ』(雷鳥社)『まだまだあった! 知らずに食べてる体を壊す食品』(アスコム)『儲かる「西出式」農法』(さくら舎)など。現在ハンター修行中。

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