むかしむかしの日本の農村のお話

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春。自然からのお便り第一弾は「ふきのとう」。たくさんいただいたのでふき味噌にしました。
山菜ってのは、見方を変えると「地面に食べものがたくさん落ちている」といううれしい状態。
苦労しないで食べものが入手できるというヨロコビに、心がふるふると震えます。



山梨に行ってきました。

以前から農家の昔話を聞くのが大好きで、機会があれば聞くようにしています。

だいたい65歳~75歳位の年齢の方と話をすると、とにかく一度、
アホほど儲かった時期があるという話になります。とくに果樹農家に顕著です。

りんごしかり、ぶどうしかり、桃しかり。あ、きのこや軟白うどもそうでした。

一日で(40年位前ですよ)市場に持ってった希少なりんごで100万儲けたとか、
ぶどう2kg箱を10箱ほど売って赤湯温泉で豪遊したとか、ネオマスカットで御殿が建ったとか、
農家は大卒の初任給の3倍収入があったとか、枚挙にいとまがありません。

昭和25年頃から40年頃まで、何度か儲かった時期があったとみなさん言います。
そういう話をする時は、皆とても楽しそうでこちらもわくわくします。

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山梨県の一宮・勝沼町あたりでは、ネオマスカットで大変儲けた人がたくさんいます。
今や雑ぶどう的な扱いのネオマスも、一世を風靡した高級品種だったのですね~。
塩山では巨峰で儲かったとか、地域・品種に違いはありますが、ぶどうで儲けた人、
相当多いみたいです。そう言えば昔、ぶどうって高かったですもんね。



ただそういう人は、他者に先んじて地域で新しい作物を導入したという人が多く、
皆が皆、儲かってたのではないようです。先駆者こそが儲かるってことなのでしょうね、きっと。

それらは農家のおっちゃんから聞く話。当時の暮らしぶりはあまり知らなかったのですが、
今回農家のかあちゃんに、50年位前の生活の話を聞きました。
とても興味深かったので今まで聞いた話と合わせ、備忘録代わりに書いてみます。

関東近郊の農村では当時、コメ・麦・養蚕が主たる作物でした。
現在の果樹産地が果樹の栽培を始めるのは、昭和30年代の後半から40年代前半にかけて。
それまでは、だいたいどこへ行っても「お蚕飼ってた」という話になります。

養蚕にきのこを組み合わせている地域(群馬に顕著)もありますが、
基本的に米ができる土地では米と麦の二毛作+養蚕。
寒くて米ができない地域では、麦・雑穀・ソバなどを栽培していました。
おやきやほうとうなど粉食文化の地域は、麦が豊富なのではなく米がなかったのです。

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都市生活者にはピンと来ませんが、標高が高くて寒いため、米が作れない地域ってのがあります。
また水がないと米が作れません。そういうところでは麦やソバ、雑穀などを作るしかないのです。
農地が安く入手できるといういい話をよく聞くと、水がないってところが多いですね。
昨今流行の冬季湛水の田んぼも、水が豊富だからできること。水ってとっても大切なのです。



さて当時の換金作物のナンバーワンはお米です。

水があって米が作れて土地があればお金になるので、とにかく米を作りました。
昨今、絶滅の危機に瀕している棚田などは、この頃に開墾されたのでしょう。
棚田を見ると、土地が少しでもあれば米を作りたいという農家の執念を感じます。

当時は食管制度がありましたから、米は政府が買い上げていましたが、
供出量が決まっているため、不作の年など農家は自分が作った米を食べることができません。

「いつか白いごはんをおなか一杯食べてやると思ってた」と、じいさま方がよく言います。
70代の農家の憧れは、白いごはんだったのでした。

今や米は余って余って、できるだけ作って欲しくない的な作物になってしまいました。
いつか罰があたるような気がしている私です。

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健康にいいってことで昨今流行の雑穀類ですが、年配の農家に言うと
「絶対に二度とあんなもの食べたくない、作るのもイヤ」って人がものすごく多いです。
小さな頃の満たされなかった思い出が食べものから喚起されるのかなあ。
日本は豊かな国になったってことなのですが、なんとなく悲しい話じゃないですか。



さて、米が作れない地域で盛んだった養蚕は、
生糸の自由化までは割合といい価格で取引がされていたようです。
取れば取るほどお金になるため、蚕は非常に大切に育てられていました。

今でも蚕に「お」をつけたり「様」がついたりするのは、そういう理由からです。

昔の農家は二階がフラットな広い空間になっていて、ここで蚕を飼っていました。
自分たちが生活している上で蚕が桑を食べ排泄しているのです。すごいことですよね。

蚕を卵から孵すために温度を高くする必要がある時などは、居間を蚕に明け渡したり、
ホルマリン消毒をした日は家に入れないので、土蔵でごはんを食べたりもしたそうです。
養蚕農家は、まさに「お蚕」中心の生活だったのです。

繭の収穫は一年で4回。5月から10月ごろまで蚕の世話をしなくてはなりません。
当時は蚕の糞を外に出す作業、繭を作り始めた蚕を所定の場所へ移す作業など、
家族総出でする仕事が多かったとか。幼虫が苦手な人なんていなかったんでしょうね。

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長野のりんご農家に見せてもらった手縫いの綿入れ長じゅばん。
端布をついだ長襦袢に、冬になると綿を入れて縫い直して着ていたそうです。
布は貴重品でしたから大切に使いました。端布とは言え、女性の作るものですから、
色の合わせ方や模様合わせなど、精いっぱいのお洒落心が端々に感られます。



繭を作る途中で蚕が死んだら、もったいないので繭をときほぐし糸や真綿にします。
これは織機を持っている人が織物にし、自分で自分の着物を縫っていました。
現在大変高価な伝統工芸品でもある「紬」の原型…紬が作業着と言われる所以です。

その他にも羊を飼って毛糸を取ったり、綿花を植えて布団を作ったり…、
百貨店もスーパーもない時代です。ほとんどのものは手作りしていました。

人々は日々忙しく働き地域で助け合い、皆が同じように暮らしていたのでした。
そう思うと農村における新参者への警戒心の理由が、わかるような気がしますよね。

また、当時の食べものの話を聞くとぶっ飛びます。

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これは結城紬の真綿ですが、こんなにきれいなものではなかったようです。
死んだ繭をゆでて糸を取るのですが、死んだサナギの煮えるニオイが家中に充満して、
とってもイヤだったとか。ニオイは想像できないけど、イヤそうなことはなんとなく理解できます。



今まで聞いただけでも、うさぎの毛皮の委託養殖を受けて、毛皮を渡して肉をもらったとか、
鶏を飼って卵は人に売って自分たちは全く食べず、
たまに廃鶏をつぶして食べる際には、肉・内臓のほか骨も全部砕いて味噌と混ぜて食べたとか、
野良犬(猫)、小鳥、虫、サルなどその他の野生動物等々、何でも食べたとあちこちで聞きます。

今聞くと「えっ? そんなものを?」と思うのは、今のものさしで測るからでしょう。
当時は食べることがまず第一。食べられるものは何でも食べてたのでした。

これはアジアのどこかの国の話ではなく、たった50年ばかり前の日本の農村の話。
忘れてしまいがちですが、日本人が飢えなくなってからまだ50年ほどしか経っていないのです。

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白いごはんをおなか一杯食べられるしあわせ。
日々の食事に感謝しながら食べることを忘れちゃってる自分。ちょびっと反省しました。



世界中からあふれるほどに食べものを輸入して、残しては捨てている現在、
手作りの衣類や着物はもはや趣味の世界。うさぎや犬を食べるなんてチョー野蛮人、
鶏の一羽どころか、魚をさばくことすら難しい、他者に食べものを依存する豊かな生活。

この生活を、素晴らしいと喜ぶべき? それとも? 
何かのど元あたりに不安のカタマリのようなものを感じるのは、私だけでしょうか。

たまには昔話を聞き、我が身と日本の来し方行く末を考えたりするのもいいかもな、
そんな風に思いつつ、おかいこ話を楽しく拝聴した次第です。


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No title

先日の露地モノのほうれん草の記事を読んで
肉談義をしてたら、食事療法違反の
「常夜鍋」が食べたくなったじゃありませんか
責任とってください(笑)

なんて冗談はともかく、昔の野菜はアクも強く、
ほうれん草も「えぐかった」ですよね。

日本人が「飢え」から解放されて50年と言いますが
50年前の初任給は、大卒でも12000円~18000円の時代で
僕の同級生が就職した頃でも、まだ3万円台(苦笑)。
農村の貧困がよく問題にされますが
僕らの時代、都市部だって、そんなに豊かだった訳ではありませんでした。

そしてまた戦後の混乱期には、空爆で壊滅した都市部より
農村の方がはるかに豊かだった時代があったはずで
その70代の、お年寄りが「雑穀を食べていた時代」
街の子供は、焼け跡の街で、道端の草を摘んできた「すいとん」や
「さつま芋の尻尾の入った雑炊」を食べていたと思います。

僕は、もう少し後の生まれで、戦後の混乱期は知りませんが
朝鮮戦争直後のことですから米軍兵士はまだ街にウヨウヨいて
麦飯も雑穀もすいとんも、みんな
そうした「悪夢の時代」と直結した思い出なのかも知れませんね。

近頃の若いものはもちろん、ダメ官僚にダメ企業
政府に至るまで間抜け揃いの呆れた日本ですが、
戦争のない愚者の国と、戦争のある賢者の国
どっちがいいかと比べたら、
それでも<戦争のない愚者の国>の方がいいのかな?とも
思わないではありません。

話がそれちゃいましたが
ふきのとう、こんな料理方もあります。
http://gandam4d.blog8.fc2.com/blog-entry-116.html
遊び半分で作ってみましたが、なかなか美味しいものですよ!

Re: No title

癌ダムさん

> 「常夜鍋」が食べたくなったじゃありませんか
> 責任とってください(笑)


すすす、すみません(汗

常夜鍋、おいしいですよね~。
いくらでも食べられちゃいますもん。

ふきのとうチャンプルーも、おいしそうですね。
次回入手できたら、ぜひ試してみますね!


> 朝鮮戦争直後のことですから米軍兵士はまだ街にウヨウヨいて

東京で農業をしている筋金入りの70代の農家が、朝鮮戦争で一気に豊かになったと言ってました。
それまでは、肥料の配給が一反3kg(チッソ分)。何にもできなかったけど、
朝鮮戦争で皆がお金持ちになって、肥料も買えるようになったそうです。

彼の畑がある地域は、水がないので米ができない地域。
米ができないとさつま芋を供出してたらしく、食べるもんがなかったそうです。
(朝鮮戦争後、軟白ウドで儲けたのはこの農家でした)

いまだに、前年度のじゃがいもを今年度分ができるまで大事に取っておいて、
もう大丈夫って実感するまで置いていくのだと言ってました。

飢えた人の経験から生まれた知恵というか、もう戦争は終わったのに、
「もしまた食べるものがなくなったら」という危機感を継続して持っているのはすごいなあと思ったです。
それが農家っていうのかもしれません。


> それでも<戦争のない愚者の国>の方がいいのかな?とも
> 思わないではありません。


そうですね~。でももう少し危機感があってもいいかも。

だけど、平和の意味がわかんないこどもがたくさんいる地域だって、世界中にあるんですから、
日本って本当に幸せです。渋谷とか歩いてると「平和だなあ」と思います。

誰も飢えてない平和な国だからこそ、おいしいものを食べられてるんだろうなと思ったりもします。
私のように、おいしいものばかり追い求めるのもなにがしかの罰があたりそうです(汗)

No title

ほんたべさん、こんばんわ。僕が生まれた頃には、もうお蚕さんを育てている家はありませんでした。でも、話は聞いたことがあります。
農家の人は、当時も、今も、家畜や農産物を生活の基軸としているんだなぁと感じます。

僕も、ほんたべさんのように感謝しながら、今夜も御飯を食べたいと思います!

Re: No title

駆動さん

こんばんは。

お蚕は昭和40年に入ってから急速に廃業が進んだみたいです。
今でも群馬で養蚕やっている人がいますが、大変みたいですねえ。

>農家の人は、当時も、今も、家畜や農産物を生活の基軸としているんだなぁと

生業として受け止めていらっしゃるのだと思いますが、
酪農家や平飼養鶏など一日も休めないので、本当にスゴイなあと思いますです。

日々感謝して食べものをいただかないとなあ…他者に食べものを依存する身としては…とか、
最近よく考えております。


プロフィール

ほんたべ

Author:ほんたべ
手島奈緒
おいしい食べものをつくる人を紹介したり応援したりしております。ブログをまとめた著書『いでんしくみかえさくもつのないせいかつ』(雷鳥社)『まだまだあった! 知らずに食べてる体を壊す食品』(アスコム)『儲かる「西出式」農法』(さくら舎)など。現在ハンター修行中。

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